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    国立マンション訴訟合戦終結   建築関連での独り言
    2016年12月16日 16:42 (FRI)

    国立マンション訴訟関係の最後の争いが確定しました。
    マンション計画が明らかになったのは1999年8月なので17年間掛かったことになります。
    JR国立駅から南に伸びる銀杏・桜並木の美しい大学通りでの騒動は、度々テレビニュースでも取り上げられていたのでご存知の方も多いと思います。

    私もだいたいの流れは把握していましたが、改めて振り返ってみたいと思います。
    Wikipediaから抜き出して簡単に経過を時系列で表してみます。

    1999年8月  開発行為の事前協議の届出を市に行う。(この時は18階建)
       ↓ 
             (上原市長が別件のマンション反対運動集会で計画をばらす。)
             (注・この市長の名前が後で出ます)

       ↓ 
    1999年10月 紛争予防条例に基づく標識を設置。
       ↓ 
    1999年11月 国立市が「中三丁目地区計画」案を策定し、公告縦覧を始める。
       ↓ 
    1999年12月 東京都多摩西部建築指導事務所に建築確認申請を提出
       ↓ 
    2000年1月  建築確認取得、同日中に根切り工事に着手。
       ↓ 
    2000年1月  31日の臨時市議会で地区計画条例が可決、翌2月1日に施行。
             (尚、制定反対派の市議や市議会議長が議会をボイコットし後に控訴している。)
       ↓ 
    2000年6月  反対住民がマンションの建築禁止の仮処分を地裁に申し立てるも却下。
       ↓ 
    2000年12月 同上の抗告、高等裁判所で却下、確定。
       ↓ 
    2001年12月 14階建、高さ44mのマンションが完成。翌年から分譲開始。
       ↓ 
    2001年12月 反対住民が東京都に対して撤去命令を出すようにという行政訴訟で、東京地裁は是正命令を出さないことは違法であるとの判決をだす。(地区計画条例施行時には根切り工事しか行われていないため違法建築に当るとの判断)
       ↓ 
    2002年6月  上記の東京高等裁判所での控訴審では根切り工事は着工とみなし、第1審判決を取り消す。(最高裁判所へ上告受理申立も不受理となり、控訴審判決が確定)
       ↓ 
    2002年12月 反対住民がマンション事業者に対して、条例で定める高さ20m超の部分は違法であるとして、撤去を求める民事訴訟で、東京地裁は「特定地域で独特の街並みが形成された場合、その景観利益は法的保護に値する」と述べ、7階以上にあたる高さ20メートルを超える部分の撤去を命じる。ただ建築基準法には違反しないと指摘した。
       ↓ 
    2004年10月 東京高裁が上記第一審判決を取消し、請求を認めない判決を出す。(2006年3月最高裁で確定)
       ↓ 
    (以下部分のみ時系列逆転)
    2004年2月 マンション事業者が、国立市に対し、営業妨害と損害賠償と地区計画条例の無効を求めた訴訟を提起した裁判で第一審の東京地裁が損害賠償4億円の支払いを命ずる判決を出す。
       ↓ 
    2005年9月 上記控訴審の東京高裁では、条例は有効で営業妨害にあたるが、損害賠償を大幅に減額した2500万円の請求を認める判決を出す。
       ↓ 
    2008年3月 上記裁判において市議会の代わりに補助参加人(周辺住民)が上告受理申立を行うも棄却され確定。
           (市議会は上告断念、市長が補助参加人から委任状を集める)
       ↓ 
    2008年3月  国立市がマンション事業者に損害賠償金及び遅延損害金として3123万9726円を支払う。
       ↓ 
    2008年5月  マンション事業者は、訴訟目的は会社の正当性を明らかにすることだったためとして上記金額と同額を市に寄付。
       ↓ 
    2010年12月 市がマンション業者に支払った損害賠償金と同額を、市が上原公子元市長個人に対して請求するよう国立市民4人が起こした裁判で、地裁が市に対して上原元市長個人に損害賠償請求を行うように命じる判決を行った。
       ↓ 
    2011年1月  市が「賠償金は実質的に返還されており、損害はない」として控訴。
       ↓ 
    2011年5月  市長の交代により上記控訴取り下げ、判決の確定。
       ↓ 
    2011年12月 市は上記判決により上原元市長に対して損害賠償金を請求するも拒否されたので東京地方裁判所に提訴。
       ↓ 
    2014年9月  地裁が国立市の請求を棄却する判決を言い渡す。
       ↓ 
    2015年12月 高裁が「元市長は市議会の答弁などでマンションが建築基準法に違反するような印象を与え、不動産会社の顧客の購入を消極的にさせた」として一審判決を取り消し3100万円余りを支払うよう命ずる。
       ↓ 
    2016年12月 最高裁判所が元市長の上告を退ける決定を出し、元市長に賠償を命じた判決が確定。


    こうして書いてみると17年って長いですね。
    いくつか気になった点を挙げてみたいと思います。

    日付はWikipediaを参考にさせてもらっていますが、本当に合っているのかな? と思わざるを得ません。
    本当に合っているのなら最初の確認申請の所でちょっと引っかかりますね。

    紛争予防条例に基づき、標識を設置したのが1999年10月19日。
    1か月間の周知が必要なので11月19日以降には確認申請が出せることになります。提出の日付は不明ですが12月に出したと書いてあります。で、翌1月の5日には確認が下りて着工となっています。
    こんなに早く確認が下りるのはちょっと、と言うか、大いに疑問です。
    民間の指定確認審査機関制度が出来たのが丁度1999年ですが、Wikipediaには東京都多摩西部建築指導事務所に建築確認申請を提出となっているので民間は使わなかったようです。

    役所に確認を提出し、14階建の300戸以上のマンションで、しかも年末年始を挟んだ1か月というのはどう考えても短すぎます。
    更に、確認申請提出前後というのは既に近隣住民との間でトラブルになっていた頃で、国立市と東京都という異なる立場とは言え役所もいろんな面で慎重になっていた筈です。

    それ以降は市と裁判所(1審)の対応が全くなっていませんね。
    後出しじゃんけんの条例制定と言い、出来上がったマンションの高層部分の撤去命令と言い、当時も笑って見てましたけど、こうして振り返ってみるとつくづくアホな対応だなと思っちゃいます。
    どうせ1審だし、控訴審に行けばひっくり返るだろう、ここは住民側に沿った判決を出してやろう、などと地裁の裁判官が思っているとしたらとんでもない話です。

    反対運動が起きてから地区計画を作り始め、臨時市議会を開くまでしての異例の速さでの条例化と言い、確認申請期間の驚くほどの短さと言い、この騒動の裏にはまだ表に出ていない何かがあったような気がするのは私だけじゃないような気がします。

    マンション工事中に建築禁止の仮処分を申し立てているにも関わらず、その時点では却下しておきながら完成後に20mから上の部分を撤去せよとのばかげた1審判決の取り消しは当然として、一連の裁判はマンション事業者ペースで進んでいます。
    それ以前にも建築関係者の間では認識されていた根切り工事=工事着手という解釈が確定したことやそれに伴う不遡及の原則が適用されたこともマンション事業者側の主張が正しかったことになります。

    それに比べて市側の対応は後手後手に回っています。しかも空回り。
    極めつけは最後の裁判での元市長の敗訴です。
    以前から景観保護の市民運動を行っていた上原元市長が、住民にマンション建設阻止を促したり、市議会で建設は違法だと答弁したりしたことを「不法行為」とまで認定しました。

    「建築基準法に物申す-容積緩和」でも書いていますが、地方自治体が物事を制限するような条例というのは一見市民を守っているようで、片や権利や財産を奪う事にもなります。
    この場合もこのマンションは既存不適格になりました。 
    まあ立地条件も良い場所ですし、今後は近くにこのような大規模マンションも出来ないでしょうから(条例で事実上不可能)資産価値はそれほど下がらないんでしょうね。
    いや、もしかしたら希少価値という付加価値が付くのかな?
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