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建築基準法に物申す(3)-2項道路 建築関連での独り言 / 建築基準法に物申す |
1130-2016 |
「建築基準法に不満あり」と、実務を経験したことのある人は多かれ少なかれ誰しも感じていることでしょう。 という事で、今回は「2項道路」について。
建築基準法はザル法か?で少し取り上げた「2項道路」ですが、自身の考えを述べさせていただきます。 建築と道路とは切っても切り離せない関係です。 なぜなら、法第43条第1項に、建築物の敷地は「道路に2メートル以上接しなければならない」とあるからです。 道路といってもいろんな道路があり、登記上は公衆用道路や公道であっても建築基準法の道路に該当しないものに接していても建築は出来ません。
建築基準法42条によると、
この章の規定において「道路」とは、次の各号の一に該当する幅員四メートル(特定行政庁がその地方の気候若しくは風土の特殊性又は土地の状況により必要と認めて都道府県都市計画審議会の議を経て指定する区域内においては、六メートル。次項及び第三項において同じ。)以上のもの(地下におけるものを除く。)をいう。
となっていて、次の各号の概略は ① 道路法による道路 ② 都市計画法等による道路 ③ 昭和25年11月23日に存在していた道路(幅員4m以上) ④ 事業執行予定の道路 ⑤ 位置指定道路 (以上、42条1項) ⑥ 42条第2項の道路(幅員4m以下) となります。
かなり複雑ですよね。 でも、建築確認申請だけならば以上の6種類の道路の区別さえしっかり把握してさえいれば問題はないのですが、開発行為等が関係してくると私道やつぶれ水路(公図上は水路だけれど道路形状になっている)等も絡んでくるので更に複雑になってきます。
あっ!、それから道路ではありませんが、「建築基準法第43条ただし書」というものもあります。
第43条 建築物の敷地は、道路(次に掲げるものを除く。第四十四条第一項を除き、以下同じ。)に二メートル以上接しなければならない。ただし、その敷地の周囲に広い空地を有する建築物その他の国土交通省令で定める基準に適合する建築物で、特定行政庁が交通上、安全上、防火上及び衛生上支障がないと認めて建築審査会の同意を得て許可したものについては、この限りでない。 以下省略
この条文の「ただし」以降には「道路」の「ど」の字もありませんが、建築関係者間では「ただし書道路」と呼ぶ場合もあります。
「その敷地の周囲に広い空地~~云々」、というのを読んでも一般の人には何の事か判らないと思いますが、簡単に言うと救済措置です。 上記の「⑥ 42条第2項」は昭和25年以前から存在する道が前提ですが、何らかの理由でそれに当てはまらない道で、現に家が立ち並んでいる場合などに許可が出ます。 あくまでも個人的な感想ですが、建築確認を受けないで建てられた違法建築だけれど、あまりにも数が多いので再建築不可にすると影響が大きすぎる為かと……。(あくまでも推測です)
かなり脱線しましたが、今回は「2項道路」でしたね。 話を戻して、今までの話をまとめます。
基準法上の道路は4m以上必要で、4m以下の道路は42条2項により、中心から2m敷地を後退させなければなりません。(以下、コピペ)
2 この章の規定が適用されるに至つた際現に建築物が立ち並んでいる幅員四メートル未満の道で、特定行政庁の指定したものは、前項の規定にかかわらず、同項の道路とみなし、その中心線からの水平距離二メートル(前項の規定により指定された区域内においては、三メートル(特定行政庁が周囲の状況により避難及び通行の安全上支障がないと認める場合は、二メートル)。以下この項及び次項において同じ。)の線をその道路の境界線とみなす。ただし、当該道がその中心線からの水平距離二メートル未満でがけ地、川、線路敷地その他これらに類するものに沿う場合においては、当該がけ地等の道の側の境界線及びその境界線から道の側に水平距離四メートルの線をその道路の境界線とみなす。
この条文の趣旨は、家を建て替えるときに道路境界線を後退させ、その道路に接する家(向こう三軒両隣のそのまた両隣)が全て建て替えを終わる頃には自然と道路が4mになっている、というものです。 ある意味素晴らしい条文です。 しかし、悲しいかな、私はこの基準に従って自然発生的に4mに広がった道を見たことがありません。
というのも、この条文は塀を含む建築物を制限するものであり、敷地の所有権はそのまま変わらないからです。 強制的に公衆用道路として登記させるとかが出来れば別ですが、第1条で、国民の財産の保護を図り~~云々、とうたっている建築基準法にはしょせん無理な相談なのです。
後退した部分を駐車場として利用しても花壇としての利用も法では制限されません。 建築物の敷地には含めないと言われても自分の土地であることには変わりないので、進んで道路状に整備する人などたぶんいません。 完了検査が終わり検査済証の交付を受けた段階で、舗装して駐車場になるか塀を設けて自分の土地だと自己主張するかのどちらかでしょう。 まあ、これもザル法と揶揄される原因の一つでしょうか(苦笑)
長い記事になりましたがもう少し続けます。 2項道路といえば、現況幅員2.7m(9尺)の道路が多いのは何故だろうと前々から疑問に思っていました。 6尺(1.8m)というのもありますが、9尺の方が圧倒的に多いです。 最近面白い資料を見つけたので紹介します。
「建築法規最低道路幅員規定における4m規定の由来に関する研究」というものです。
ところどころを抜粋してみます。
現在日本の旧市街地においては、いわゆる木造密集市街地が存在する。これらの地域では、未更新の建物が多く存在する。
最低道路幅員規定が4mになった経緯については、不明瞭な部分が多い。最低道路幅員規定が4mになったのは、建築基準法の前身である市街地建築物法(以下市建法)が昭和13年に改正されたときである。 そこで、本研究では、当時の論説誌、議会議事録、統計資料などを対象に文献レビューを行い、その経緯を極力明らかにしようと試みた。
江戸時代では、路地と道路を区別する考え方が存在したことが分かっている。なお、道路とはなお、道路とは60間×60間の街区を形成し、おおむね五間ないし三間の幅員が最低限とされ、路地とは裏長屋に通じる生活道路で、6尺から9尺程度が基準幅員であった。 そして、道路については道路法をはじめとする公道の理論に受け継がれていき、路地・地区内の生活道路については私道として建築法規のみが扱う形になっていく
1907(明治40)の警視庁長屋構造制限第3条1項2号で長屋は「幅9尺以上の道路に面せしむること」とされ、その後、1919年に制定された全国レベルの統一的な建築法規である市建法でも、9尺と定められる。 この中で、第26条に「本法に於て道路と称するは幅員9尺以上のものを謂ふ」と定められている。この9尺の規定について、大まかに二つの定説が存在する。一つは、大河原晴彦(82)による1919年当時の交通形態から、・自動車が一台通行できる広さ、・人力車・荷馬車などが行き来できる広さ、これら二つの条件を満たすラウンド・ナンバーではないかとする考え方、もう一つは、加藤仁美らによる衛生に根拠を求める説がある。
1937年の廬溝橋事件をきっかけに日中戦争に突入し、戦時体制に置かれることになる。そして、37年には防空法が施行される。
昭和13年には市建法が再び改正される。改正の要点は、……
12条の改正を受けて設置された規定が、各戸防衛主義に基づく防空建築規則である。また、この改正によって第26条も改正され、最低道路幅員が4mという規定になる
昔の法律での道路幅は9尺だったんですね。 自動車が一台通行でき、人力車・荷馬車などが行き来できる広さというんだからびっくりです。 今の時代の尺度で考えると狭い気がしますが、少し前までは徒歩か籠で行き来していたんだから9尺でも広かったのかもしれませんね。 しかも、その後の防空建築規則で4mになったなんて2重にびっくりです。 防空というからには、空爆を想像してしまいますが、道路を4mにしたからと言って延焼を防げるとは思えないし、無いよりはましとでも思っていたんでしょうかね。
興味がある方は http://ud.t.u-tokyo.ac.jp/research/thesis/assets/motti_hashimoto_summary.pdf で全文を見られます。
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